昔の交通

 今は、三崎 から八幡浜までわずか四十分足らずと、ずいぶんと近くなったものです。
昭和42年頃に道が広くなり、伊予鉄バスが通うようになり、三時間位で八幡浜に行けるようになりました。
道路も今みたいに舗装などされてなく、土ぼこりとカーブが多くて、乗り物よいで、悩まされたものでした。

 また、あの頃は、三崎から八幡浜まで「八幡丸」と「しげひさ丸」という定期船が通っていました。このような船を通い船とも呼んでいました。八幡浜までは2〜4時間かかるそうで、最初は1日に3回往復していました。しかし客が減るにつれ、その回数は減ってきました。
当時の名取の浜は、乗り降りのお客さんでにぎわっていました。
定期船の中は、この半島の人々のコミニケーションのとれる場だったように思います。
交通の便が悪かったので、食品も今のようにいつも卸すわけにもいかず、食べ物が不足していてとても困っていたそうです。
 今では便利になった反面、このようなのどかな光景が見れなくなったのが残念に思います。

  話をしてくださった人・・・平井キチ子(二名津 取材当時四十歳) 小川正一(二名津 取材当時72歳)
                宇都宮トシ子(松 取材当時69歳)
  取材・・・・・・・・・・・・・・・・・平成6年度

  編集責任・・・・・・・・・・・・・・KK(5206)